長崎原爆忌
今日8月9日は1945年に長崎市に原爆が投下された日です。私の住んでいる諫早市でも原爆が落ちた11時2分にサイレンがなり、黙祷をしました。私の実家は、長崎市の戸石地区、爆心地から12㎏圏の端ですので直接の被害はありません。でも、親族には原爆で亡くなった方がおられます。私の父方の祖父は、2男6女の8人兄妹です。このうちの3人が原爆とその後遺症で亡くなられています。8月9日に四女の谷口チサさん、六女の毎熊マツエさんがなくなっています。チサさんは、長年大阪で看護婦をされていましたが、長崎に戻って結婚して橋口町に住んでまもなくでした。51歳でした。「原爆に遭うためにもどってきたようなもんだ」と父は言っていました。浜口町で旅館をされていた三女の宗ユイさんは、ひどいやけどを負った状態で実家で療養されていたようです。1943年生まれの叔母は座敷で寝ておられたが怖くて近寄れなかったと話してくれました。やけどの手当を家族でしていたようですが1950年に59歳で亡くなられています。祖父は原爆投下翌日から何日も続けて長崎市に入り、姉の遺骨を拾ったり、負傷した人を連れ戻ったりしています。悲惨な惨状を見たはずですが、生前に話をしてくれたことはありません。
実家の仏間のチサさんとユイさんの遺影に手を合わせました。